コロンビア映画の歴史 ― 2005年09月10日 13:21
1918年、ハリー・コーンとジャック・コーンの兄弟はパートナーのジョー・ブラントと共同で、低予算映画を製作するための会社CBCフィルム・セールス・コーポレーションを設立、これがコロンビアの前身となる。(CBCとは、コーン・ブラント・コーンの略だが、冗談でコーン・ビーフ付きキャベツなどと呼ばれたりした。)短編映画の成功により、同社は1922年に初の長編映画『軽蔑より憐れみを』を2万ドルで製作。13万ドルの利益を得る大成功を収め、その後も長編映画の製作を続けていく。
1924年にCBCは会社組織を法人化し、社名をコロンビア・ピクチャーズ・コーポレーションに変更した。当時、同社はハリウッドのガウアー通りとサンセット通りの交差するあたりにあった。そこは同じような低予算映画の製作会社が多かったため、「貧乏人の町」とも呼ばれていた。設立当社のコロンビアは低予算映画を量産していた。
1927年、コロンビアは同社初のトーキー作品『ドノヴァン』をフランク・キャプラ監督で製作する。キャプラは1934年の『或る夜の出来事』でアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞を受賞する快挙を果たす。その後もキャプラは『オペラ・ハット』、『わが家の楽園』(アカデミー作品賞)、『スミス都へ行く』などの名作を続々と監督し、コロンビアの名声を高めるのに貢献する。1935年、コロンビアはロサンゼルスのバーバンクに映画撮影用の土地を購入する。
当時のコロンビアの契約下にあった俳優は、ロザリンド・ラッセル、リタ・ヘイワース、グレン・フォード、ウィリアム・ホールデンなどのスター達だった。
1947年の『ジョルスン物語』は、同社最大の収益をもたらすブロックバスターとなった。1949年の『オール・ザ・キングスメン』はアカデミー作品賞に輝いた。
1948年、コロンビアはスクリーン・ゲムスという会社を設立して、映画スタジオとして初めてテレビ業界への進出。『奥様は魔女』『チャーリーズ・エンジェル』など、合わせて275のテレビ・シリーズを製作した。コロンビアのテレビ部門は、後にコロンビア・ピクチャーズ・テレビジョン、そしてコロンビア・トライスター・テレビジョンと名前を変え、2002年にソニー・ピクチャーズ・テレビジョンとなっている。
50年代後半、コロンビアの創設者であったコーン兄弟が死去する。50年代のコロンビアは『ここより永遠に』『波止場』『戦場にかける橋』でアカデミー作品賞をとっている。
1960年代は、『バイ・バイ・バーディー』『ファニー・ガール』『博士の異常な愛情』『いつも心に太陽を』といった作品を製作し、『アラビアのロレンス』『わが命つきるとも』『オリバー!』でアカデミー作品賞をとった。
1970年代は、『追憶』『ミッドナイト・エクスプレス』『タクシー・ドライバー』『ザ・ディープ』『未知との遭遇』、そしてアカデミー作品賞の『クレイマー、クレイマー』を製作。この頃、コロンビアはガウアー通りの撮影所を閉鎖し、バーバンクへ移動した。1972年、コロンビアは不動産部門の持ち株をワーナー・コミュニケーションズ・インクと合併させ、バーバンク・スタジオを設立した。
1979年、コロンビア・ピクチャーズ・ホーム・ビデオを設立し、同社の作品をベータやVHSのビデオで配給するビジネスを開始する。同社は今日ではコロンビア・トライスター・ホーム・エンターテイメントとなっている。
1982年、コロンビアはコカ・コーラに買収される。1980年代の作品は、『トッツィー』『ベスト・キッド』『パラダイス・アーミー』『ゴースト・バスターズ』、そしてアカデミー作品賞の『ガンジー』。1987年には、コロンビア・トライスター・テレビジョンはキャッスル・ロック・エンターテイメントのコメディドラマ『サインフェルド』の配給権を獲得、同番組は大ヒットする。
1983年、コロンビアはHBO、CBSと共同で、トライスター・ピクチャーズを設立。同社は『ナチュラル』『ランボー2』『ペギー・スーの結婚』などを製作する。
1989年、ソニーがコカ・コーラからコロンビアを買収する。MGMが昔使っていたカルバー・シティの撮影所にスタジオを移し、名前もソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントとなる。1991年に購入されたカルバー・スタジオは、『キング・コング』『風と共に去りぬ』『市民ケーン』が撮影された場所で、1919年にトーマス・インスによって設立され、セシル・B・デミル、デヴィッド・O・セルズニック、RKOが所有した。スタジオはソニー・ピクチャーズ・テレビジョンが使用していたが、2003年に売却された。
1992年、ソニー・ピクチャーズ・クラシックス(SPC)が設立され、海外の作品やインディペンデント映画の買い付け、製作、配給などを行った。同社の手がけた作品には、『グリーン・デスティニー』『ポロック』『ハワーズ・エンド』『インドシナ』などがある。
2002年、『スパイダーマン』『メン・イン・ブラック2』『スチュアート・リトル2』『パニック・ルーム』『ブラック・ホーク・ダウン』などのヒット作品により、同社はアメリカ国内で15.7億ドル、海外で2.87億ドルの巨額の興行収益をあげる。
参考 http://www.sonypicturesmuseum.com/studio_history/spe_history.html
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