『アニー・ホール』未公開シーン(ボディスナッチャーのパロディ) ― 2005年09月24日 14:28

『アニー・ホール』において、撮影されたものの映画では使用されなかった『ボディスナッチャーの侵略』のパロディのシーン。
『ボディスナッチャーの侵略』はドン・シーゲル監督のSF映画で、人間が寝ている間に宇宙から来た繭が人間そっくりの替え玉を作り、元の人間に取って替るという侵略もの。
カリフォルニアの生活が嫌いなアルヴィ(アレン)に、友人(トニー・ロバーツ)が、繭で替え玉を作るように勧める。「目が覚めたら、カリフォルニアが好きになっているさ」。むろん、アルヴィはこれに強く抵抗する。アレンの隣の女性は二度目の妻役のジャネット・マーゴリンで、繭がふたつあるところを見ると、彼女も替え玉を作るように勧められているようだ。
『アニー・ホール』未公開シーン(歩行者と話すアルヴィ) ― 2005年09月24日 14:37

『アニー・ホール』には、アルヴィ(アレン)が街の中で全然関係ない歩行者にアニーとの関係や男女のセックス問題などについて相談し、アドバイスを受けるシュールなシーンがいくつかあるが、これもそのひとつとして撮影されて、使用されなかったシーンと思われる。
『スリーパー』未公開シーン(敵をグルグル巻きにするアレン) ― 2005年09月24日 14:40

『スリーパー』で、政府の施設に潜入したアレンが、敵をぐるぐる巻きにするシーン。
映画の後半では、政府の施設に忍び込んだアレンが、建物の上の階からビデオテープにつかまって下の階に潜入しようとして、相棒のダイアン・キートンの機械の操作ミスでテープが行ったり来たりしてひどい目に合う様子がスラプスティック調で描かれている。
映画では、その後、無事に潜入したアレンとキートンが白衣に身を包んで医者に化け、長い廊下を歩くシーンへと続くのだが、写真の場面はおそらく、潜入した階にいた2人の医者をビデオテープでぐるぐる巻きにして捕らえるというシーンと思われる。よく見ると縛られている左の人物は女性のように見え、アレンとキートンが捕らえた男女2名の医者に守備良く化けたのだとすれば、話のつながりもスムーズに行く。カットされた理由は不明だが、完成した映画でもカットによる不自然なところはないので、話のリズムを遅くせず早くクライマックスにもっていくために、物語を勧める上でなくてもすむ場面を省いたというところだろうか。
『スリーパー』未公開シーン(手品をするアレン) ― 2005年09月24日 15:00

『スリーパー』で、ダイアン・キートンに手品を見せるが失敗するアレン。
未来の警察から逃亡中のアレンとキートンは、アレンが昔住んでいた科学者の家に逃げ込む。2人は風呂に入って落ち着いた後で、身の上話をするのだが、これはその前にアレンがキートンをリラックスさせるために手品を見せる場面。キートンは喜んでいるが、どうも手品は失敗して、誤ってアレンの腕にろうそくの炎がうつってしまったというオチだと思われる。
アレンは手品が大好きで、少年時代からよく一人で練習していたという。映画でも『スターダスト・メモリー』『ニューヨーク・ストーリー』『影と霧』などのように、手品のモチーフが度々登場する。この『スリーパー』のシーンは、カットされなければアレン作品で手品の出てくる最も古いシーンとなったろう。
『スリーパー』未公開シーン(巨大マリファナを吸うアレン) ― 2005年09月24日 15:13

『スリーパー』で、巨大な作物や動物を育てる農場に忍び込んだアレンが、巨大マリファナを吸ってハイになるシーン。
映画では、農場に忍び込んで食料を盗んだアレンが監視員に見つかって、巨大バナナの皮で追っ手を滑らせ、逃亡する。
『スリーパー』未公開シーン(巨大マリファナを吸ってハイになるアレン) ― 2005年09月24日 15:17

『スリーパー』で、巨大マリファナを吸ったアレンが文字通り”ハイ”になり、宙に浮くというシーン。
巨大な食料や動物を使ったギャグのひとつだが、映画からはカットされた。
『マッチ・ポイント』サン・セバスチャン映画祭に出品 ― 2005年09月25日 07:15
スペインで開催されているサン・セバスチャン映画祭に、アレンの新作『マッチ・ポイント』が出品された。アレン自身は映画祭には出席していない。アレンは2004年に同映画祭から功労賞を受賞し、スン・イーと共に出席して賞を受けとっている。今回の『マッチ・ポイント』は審査対象外のため、コンペティションの対象にはなっていない。
アルバム「ウディ・アレン/ザ・ナイトクラブ・イヤーズ1964-1968」 ― 2005年09月25日 08:05

英語タイトルは「Woody Allen: the Nightclub Years 1964-1968」。「ウディ・アレン/スタンダップ・コミック」と同様、1964年から1968年にかけてリリースされたスタンダップ・コメディアン時代のアレンの3枚のライブ・アルバム「ウディ・アレン」「ウディ・アレンVolume 2」「ウディ・アレン・サード・アルバム」から選りすぐって再構成したもので、こちらは2枚組である。元が同じなので、入っているネタも「スタンダップ・コミック」とだいたい同じような内容だが、インデックスがついていないので収録場所や時期、内容は不明。
朝鮮日報のアレン・インタビュー ― 2005年09月27日 20:41
9/27の朝鮮日報は、アレンとのEメール・インタビューを掲載している。韓国では、日本より一足遅く、9/30から『さよなら、さよならハリウッド』の公開が始まるのだ。(ただし、『僕のニューヨーク・ライフ』は日本より一足早く、すでに公開されている。)以下、インタビューの主要部分を紹介する。
「ぼくの奥さんはソウル生まれなんだ。一緒に韓国に行こうって、せがまれてるよ」
「(映画みたいに、目が見えなくなっても、無理矢理映画を撮りつづけるか?)馬鹿げた質問だ。たとえフランスでだって、目が見えなくては監督なんてできっこないよ。映画を撮ってて一番大変なのは、朝になったら起きることだ。そして次に大変なのが毎日ひげを剃ること」
「(奥さんは映画作りの助けになりますか? 韓国映画や韓国映画人との思い出深い経験はありますか?)妻は私のインスピレーションの源だ。しかし正直なところ、私は韓国映画についてはほとんど知らない。米国では韓国映画はあまり放送されないんだ」
「(先週からの今までの、最も幸せな瞬間と不幸せな瞬間は?)最も幸せな瞬間は、妻とベッドにいた時。不幸せな瞬間は、内視鏡の診断を受けた時」
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509270023.html
ハリケーン救済募金コンサートにアレンも参加 ― 2005年09月28日 20:40

ハリケーン・カタリーナの被害を救済するための募金コンサートが9/24(土)夜にニューヨークのタウン・ホールで行われ、多数のアーティストに交じってアレンとそのバンド、エディ・デイビス・ニューオリンズ・ジャズ・バンドも参加した。イベントはニューヨーカー誌の主催で、3日間のニューヨーク・フェスティバルの最終イベントとして行われた。
アレンはいつものカーライルでの演奏と同様、クラリネットの演奏に終始して、観客に挨拶したり、言葉を発することはなかった。コンサートは盛況で、20~30万ドルのチケット売上があったと見られている。